印象派の名前の由来に関する定説が覆る?(山田五郎先生のオトナの教養講座)
印象派という名前の由来は、パリの風刺新聞『ル・シャリヴァリ』の記事で批評家ルイ・ルロワが、後に第一回印象派展と言われる展覧会に出された「印象・日の出」を「こんなものは印象に過ぎない。書きかけの壁紙のほうがましだ。」と酷評した時に使った言葉が一般に広まったというのが定説です。ところが山田五郎先生が風刺新聞『ル・シャリヴァリ』の記事を確認したところ少しニュアンスが違ったそうです。
この記事は批評家ルイ・ルロワが架空の古典派の巨匠ジョゼフ・ヴァンサンに印象派画家達の一回目の展覧会を案内するという設定になっています。この中で印象派画家達の作品を酷評しているのは架空の巨匠ヴァンサンであり、ルロワは印象派画家達の立場から絵の説明をするという役回りになっています。
つまり、少なくともこの新聞において批評家は印象派を酷評したわけではなく、むしろ印象派に理解を示しているのです。このニュアンスの違いは大きいですね。印象派画家達が好んで「印象派」という言葉を使ったのは反骨精神から来たのだと思っていましたが、もっと素直な反応だったのかもしれません。
ここで、風刺新聞『ル・シャリヴァリ』の書き出しをリンク先から引用します。
「印象派の展覧会」
ああ! それは実に大変な1日だった。私が、風景画家であり、ベルタンの弟子であり、数々の政権の下でメダルや勲章を受けてきたジョゼフ・ヴァンサン氏とともに、キャピュシーヌ大通りの第1回展覧会に思い切って飛び込んだのは! 軽率な彼は、何の警戒心も持たずにそこに来たのだった。彼は、どこでも見られる種類の絵を見られるものと思っていたのだ。良いものや悪いもの、良いというよりは悪いだろうが、それでも善良な芸術的モラル、形態への忠実さ、巨匠への敬意を否定しないものだ。ああ! 形態! ああ! 巨匠! この哀れな老人には、もはやそんなものは必要なくなった! 全て変わってしまったのだ。
一つ目の部屋に入るや、ジョセフ・ヴァンサンは、ギヨマン氏の『踊り子』の前で最初の一撃を受けた。
「何と残念なことか。」と、彼は言った。「この画家は、色彩についてある程度理解をしているのに、もう少しまともな描き方をしないとは。彼の踊り子の足は、スカートの綿と同じくらいふわふわしているじゃないか。」
「あなたは彼に厳しいと思います。」と私は答えた。「むしろ、このデッサンはとてもしっかりしていますよ。」ベルタンの弟子は、私が皮肉を言っているのだと解釈して、返答するのもわずらわしいと、肩をすくめるにとどめた。そこで、私は黙って、できるだけうぶを装って、彼をピサロ氏の『耕された畑』の前に案内した。この驚くべき風景画を見るなり、この好人物は、自分の眼鏡のレンズが汚れていると思ったようだ。彼は丁寧にレンズを拭いてから、鼻の上に戻した。
「ミシャロンにかけて!」と彼は叫んだ。「一体それは何です?」
「ほら……深く掘った畝に霜が降りているところです。」
「それが畝、それが霜? でもこれはキャンバスに一様にパレットの削りかすを並べただけのものでしょう。頭も尻尾もない、上も下もない、前も後ろもない。」
「そうかもしれませんが……しかし印象がありますよ。」
「いかにも、おかしな印象だ! おぉ……それは?」
「シスレー氏の『果樹園』です。右の方にある小さな木はお勧めです。いい加減ではありますが、印象が……」
「もう君の印象というやつから放っておいてくれないか!……出来てもいないし、出来上がる見込みもない。しかしここにはルアール氏の『ムランの眺め』があるね。水面に何かがある。前景の影などは、実に妙だ。」
印象派の展覧会 – Wikisource
お気づきのように「印象」という単語が「印象・日の出」の説明とは関係ないところでも多用されています。記事のタイトルからして「印象派の展覧会」となっています。つまり、印象派という名前は必ずしも「印象・日の出」という作品から来ているわけではないというのが山田五郎先生の指摘です。ちなみに、「印象(impression)」は「感じが出ている」とか「空気感が伝わってくる」という意味で使われているそうです。
この動画だけで完全に定説が覆されたと言い切るのは難しいかもしれませんが、原文に当たる大切さを感じました。固定観念に縛られず、新しい見方を受け入れる柔軟さは持ち続けたいです。
最後の話題は印象派展に出した作品が笑われてしまい、それから20年間も作品を展覧会に出さなかったセザンヌの作品です。セザンヌはキュービズムにもつながる新しい試みに挑んだ画家で当時の批評家たちに理解されなかったことは有名ですが、この展覧会に出した「モデルヌ・オランピア」は衝撃的です。賛否を巻き起こしたマネの「オリンピア」を踏まえた作品であることは分かりますが、「それにしても」という感じがしてしまいます。展覧会に絵を出して笑われた画家というとアンリ・ルソーがいます。セザンヌとアンリ・ルソーは絵の上手さとは別の次元で絵画を追求した画家だったのでしょう。
記事の中で、セザンヌの「モデルヌ・オランピア」を目にした架空の古典派巨匠ジョゼフ・ヴァンサンは頭がおかしくなり、踊りはじめてしまいます。ユーモア溢れる記事ですね!セザンヌについては別途、掘り下げてみます。
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