3分で分かるゴーギャンの生涯
ポール・ゴーギャンは1848年にパリで生まれまれ、幼い頃は南米のペルーで過ごします。17歳で水兵となり、23歳のときにパリに戻り株式仲買人となります。
仕事も成功し、幸せな家庭にも恵まれたゴーギャンでしたが、35歳のときに会社を辞めて画家になる決心をします。画家になることに大反対だった妻メットとは心が通わなくなり、絵は中々お金になりませんでした。
それでもゴーギャンの絵への情熱は消えません。ゴーギャンは絵を描くために積極的に旅をしました。ブルターニュ地方の美しい村ポンタヴァン、明るい太陽が光り輝くマルティック島、ゴッホと過ごした南フランスのアルル。
旅先で出会った風景や人々をゴーギャンは自分にしか出せない色や線でキャンヴァスに描き続けました。こうして、ゴーギャンは徐々に人々から認められるようになっていきます。
ゴーギャンが「黄色いキリスト」を描いたポンタヴァンには黄色いキリストの磔刑像があるそうです。
43歳の時、ゴーギャンは少しづつ売れ始めた絵の売上金を元手にフランスのマルセイユから憧れ続けたタヒチに向います。2ヵ月後、船がタヒチに着くと、ゴーギャンの胸は喜びと感動に震えました。
豊かに枝を伸ばし葉を広げた南国の樹木、そこに実る珍しい果物、咲き乱れる花々。
湿った暖かい風、潮の香り、ヤシの葉のすれる音、小鳥や動物たちの声。
そして、黒々とした髪の美しい女性たち。全てがずっと求め続けていたもののように思えました。
ゴーギャンはタヒチで暮らした2年間でおよそ70点の絵を描いています。
お金を使い果たし、健康状態も良くない45歳のゴーギャンを暖かく迎える家族はパリにはいませんでした。期待していた個展でも絵は売れず、ゴーギャンは失望と悲しみに包まれました。
47歳になったゴーギャンは再びタヒチへと旅立ちますが、病気は悪くなり、さらにフランスの妻から娘が死んだという知らせが届きます。
希望をなくしたゴーギャンは心の中の悲しみ、苦しみ、悩みの全てを吐き出すようにキャンヴァスに向かいました。その絵は横6㍍縦2㍍という大きなものでした。題名は「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか」、ゴーギャンが自分に何度も問いかけていた気持ちです。
ゴーギャンは53歳のときにタヒチから150キロ離れた小さな島に移り、その翌年に病気と孤独と貧乏に苦しみながら心臓発作のために亡くなりました。南の島を愛した生涯でした。
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