3分で分かるフェルメールの生涯

人々の慎ましい暮らしの一場面を淡い光りの中に浮かび上がらせた画家、ヨハネス・フェルメールは1632年10月31日、オランダの小さな町デルフトに生まれました。当時、デルフトはアムステルダムと並んで貿易の中心地として栄え、また織物や絨毯など様々な産業も盛んで活気に溢れた町でした。
フェルメールの父親レイニールはそこで宿屋と居酒屋を営みながら美術品の売買もしていました。
フェルメールは父親の周りにいた画家たちの影響を受け、15歳の頃から絵の修行を始めたのではないかと言われています。

1652年にお父さんが亡くなるとフェルメールは家業を引き継ぐと同時に自らも画家として創作に励む多忙な生活を始めました。まだ二十歳になったばかりでしたが、翌年には結婚もしています。
妻カタリーナとの間に生まれた15人の子どものうち、4人は幼くして亡くなりましたが、11人はすくすくと成長しました。

デルフトの眺望

17世紀はじめ、世界に先駆けて共和国を実現させたオランダは市民中心の新しい国でした。
国民の多くが偶像崇拝を禁じるプロテスタントであったため、教会などに飾られる宗教画は必要とされませんでした。一方、貿易や産業の繁栄によって裕福になったオランダ市民達は気に入った絵を家に飾るようになりました。そのため、宮廷や教会に飾る壮大な歴史画や宗教画に変わって風俗画や風景画、静物画などが描かれました。

その中でもフェルメールの絵は当時のオランダの人々の暮らしをよく伝えてくれます。
例えば、フェルメールは窓辺の光に包まれた女性の絵を沢山描いています。国土の殆どが海より低いオランダでは深い霧に覆われた冬は長く、人々が窓から差し込む太陽の光をとても大切に思っていたことが分かります。

また、壁には絵や地図がかけられています。世界の海を制覇したオランダは地図づくりの最も進んだ国で、地図は絵画とともに市民に愛された身近な物だったのです。

水差しを持つ女

フェルメールは30歳の頃には画家としても画商としても高く評価されるようになっていました。
しかし、父親の残した借金もあり、11人の子どもを抱える一家の生活は楽ではありません。その合間を縫うようにして描いた絵は生活費や借金の返済に充てられました。

世界の国々との交易を広めて経済大国となったオランダですが、1652年に始まったイギリスとの2度に渡る戦争を機に状況が変わっていきます。国力は弱り、経済は衰え始めます。更に1672年にフランスが戦争をしかけると、オランダは一気に衰退していきます。
国力が弱まり、国民の生活も貧しくなる中、画家としても、美術商としても、フェルメールの生活はますます苦しくなっていきました。そんな中、1675年にフェルメールは妻と11人の子どもたちを残して43歳という若さでこの世を去りました。

フェルメールの絵は現在、36点しか残されていません。家業が忙しかったことやフェルメールが好んで使った青の絵の具が金と同じ価格と言われるほど高価だったことなどが理由として考えられます。穏かな光に包まれ、不思議な静けさを秘めたフェルメールの作品は永遠に生き続けるでしょう。

士官と笑う女

おはなし名画の「フェルメールとレンブレント」では17世紀のオランダを代表する二人の画家の人生と43点の名作を、大きくて美しい印刷で楽しみながら、当時のオランダ市民の生活についても知ることができます。

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