葛飾北斎「富嶽三十六景:諸人登山」に見る富士信仰
北斎の諸人登山(しょにんとざん)は富嶽三十六景の中でも少し特殊な作品です。背景には江戸時代に広まった富士信仰があります。
冨嶽三十六景シリーズ46枚の中で、唯一、富士の山容が描かれていない富士である。危ない足場をはうようにしながら、富士山頂に登山をする、富士講と呼ばれた富士山を信仰する人たちの姿と、岩肌から霧が湧きでる険しい富士山頂の山肌が描かれている。画面上部の岩室にうずくまる人々は暖ととっているのか。富士山頂の登山を果たしたという喜びが感じられないのはどういうわけだろうか。富士山容の美しさで綴られたシリーズの完結として、富士山頂の険しき姿をあえて描いたのであろう。
冨嶽三十六景《諸人登山》 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)
富士信仰とは「身分や貧富の差にかかわらず、全ての人は富士を拝み、登ることで救われる」というものです。北斎がこの作品が描いた江戸時代には登山自体が一種の信仰行為として位置付けられいました。絵の中で登頂を果たした人たちから「喜びが感じられない」のは、それが厳かな信仰の一部だったからかもしれません。
富士山信仰は古代から日本の文化や宗教に根付いており、その発展は大雑把に4段階に分けることができます。
- 古代:日本人は山や自然の霊峰(れいほう)を神聖視し、敬ってきました。山を崇拝する山岳信仰が発達し、飛びぬけた雄大さ、美しさ、神々しさを持つ富士山もその対象となりました。
- 平安時代から鎌倉時代:富士山信仰はより組織的な形を取り始めます。この時代には「富士講」と呼ばれる宗教的なグループや団体が形成され、富士山への巡礼や修行が行われるようになりました。富士山に登ることが霊的な浄化や成長の手段として見なされるようになったのもこの時期です。
- 江戸時代:北斎をはじめ多くの絵師が富士山の絵を描くようになります。富士信仰は江戸のすみずみまで深く行き渡り、人々は我も我もと富士山に登りました。
- 現在:2013年にUNESCOの世界遺産に登録されるなど、富士山は日本のシンボルとして広く認知され、宗教的な意味合いよりも観光地としての重要性が高まっています。
多くの芸術家、作家、映画監督によって描かれ、表現されてきた富士山が日本人の文化、宗教、歴史に与えてきた影響は多大なものです。個人的にも富士山には深い思い入れがあります。日々、会社のオフィスで富士山を眺めながら仕事をしていた時期もありました。右の写真は子どもが小さい頃に家族旅行で泊まった「星のや富士」の部屋で明け方に撮った富士山です。本当に神々しい光景でした。
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北斎の熱い想いを子どもにも分かり易い文章で綴っています。50点以上の作品に加えて多数の挿絵が掲載されています。
B4変型判 64ページ
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