3分で分かるゴッホの生涯

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは1853年にオランダの小さな町に牧師の子どもとして生まれました。絵を描くのが大好きで、弟のテオとは大の仲良しでした。

大人になってからのゴッホは美術商、フランス語の先生、本屋さん、牧師など色々な仕事をしましたがどれも上手くいかず、27歳のときに画家になる決心をしました。

たった一人で絵の勉強を始めたゴッホが描いたのは田んぼの刈り入れをする人、炭鉱や工場で汗を流して働く人など、自分の周りにいる貧しいけれど懸命に働いている人たちでした。ゴッホはそんな人たちのことが心から好きだったのです。

ゴッホ
種蒔く人 ※ミレーの模写

ゴッホは本格的に絵の勉強をするためにパリに移り、画商として成功していた弟テオと緒に暮らすことにしました。このころからゴッホは日本に心を惹かれるようになり、毎日のように浮世絵を眺めながら日本の景色を夢見るようになります。やがて、2年間過ごしたパリを離れて南フランスのアルルという町に引っ越すのは、そこに日本に似た景色があるに違いないと思ったからでした。

ゴッホには長い間、心に膨らませてきた夢がありました。それはアルルに芸術家が集まって、皆で一緒に暮らしながら作品を生み出していけるような「家」を作りたいという夢でした。その最初の仲間として、ゴッホはどうしても友人の画家ゴーギャンに来て欲しかったのです。ゴッホはゴーギャンに「ぜひ来て欲しい」という手紙を何度も出しています。そして、ついにゴーギャンがアルルに来ると二人は早速「黄色い家」という名前のアトリエで一緒に暮らすことにしました。

黄色い家

弟のテオはゴッホとゴーギャンの生活が上手く行くようにパリからお金を送って助けました。
二人は仲良くアルルの町を歩き、一緒に絵を描き、お互いの絵を見せ合って感じることを話し合いました。ところが、絵については中々考えが合いません。お互い夢中になり、喧嘩になってしまうこともあります。
ゴーギャンはこのままでは良くないと考え、アルルを離れようと思うようになります。
そんなある日、ゴッホは自分の気持ちを抑えきれなくなり、刃物で自分の耳を切ってしまいました。驚いたゴーギャンはテオに電報を打ってこれを知らせると、そのままアルルを去っていきました。
ゴッホの心に大きな傷が残り、ゴッホは重い心の病気に罹ってしまいます。

ゴッホ
星月夜

ゴーギャンがアルルを去ると、周囲の勧めもあり、アルル郊外の病院に入院します。ゴッホは病気と闘いながらも絵を描き続けました。病院の窓から見える麦畑や中庭、病と闘う自分の顔も沢山描いています。やがて、病気が良くなるとパリに近い町オーヴェールに移り、精神科医ガッシェ博士の元で療養を続けます。

この地で亡くなるまでの2ヶ月にゴッホは約70点の絵を描いています。「オーヴェールの教会」もその一つです。深い青色の空に渦巻く光、波打つ線で描かれた教会、暖かさを感じさせる明るい色使いで描かれた草木。ゴッホの苦悩や不安を暖かな力が支えているような安定感を感じます。

ところが、この絵を描いた一ヵ月後にゴッホは自殺を図ります。このとき、ゴッホは37歳、画家になってから10年しか経っていませんでした。

オーヴェールの教会
オーヴェールの教会

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