葛飾北斎の富嶽百景(初編)

弊社は富嶽百景を2冊を所蔵しており、1つは「初編」です。おはなし名画の「対訳・北斎の富士」を制作しているときに購入したものです。
「富嶽百景(初編)」は百数十年の歴史を感じさせる立派な外見ですが、中身はかなりボロボロです。これ以上損傷させたらいけないので、あまり開けないようにしています。どなたかしかるべき方(組織)にお譲りすることも検討しておりますので、ご興味をお持ちのかたは是非、お問い合わせ欄からご連絡ください。

外観は重厚で「歴史的資料」という趣があります。
パラパラ見ただけですが、初見の作品も沢山あり興味深かったです。
初編ではない方はもう少し状態が良いので、普段はそちらを見ています。

対訳・北斎の富士

対訳・北斎の富士」には「富嶽三十六景」と「富嶽百景」から28枚の作品を掲載しています。富士山と富士を眺める人々の暮らしや文化を楽しめます。

大江健三郎氏のノーベル賞受賞講演の翻訳された山内久明先生の格調高い英文付きです。

B4変形 36ページ
本体価格 ¥2,000(税別)

折角ですので、「対訳・北斎の富士」に掲載されていない作品も含めて何点かご紹介します。

役ノ優婆塞 富嶽草創

「役ノ優婆塞(えんのうばそく)」とは「役の行者(えんのぎょうじゃ)」や「役の小角(えんのおづぬ)」とも呼ばれた、7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。

「優婆塞」とは、在野の信仰者を意味します。「日本霊異記」に伊豆に流された時、夜は富士山で修行したと書かれています。北斎が描いたのはその姿です。伝説の行者の姿が神秘的に描かれています。

山亦山(左)と尾州不二見原(右)

「尾州不二見原」という作品は三十六景にもあり、「桶屋の富士」としても知られています。百景では「群鶴」と「遠方の富士」が描かれています。この組み合わせは富嶽三十六景にもあります(相州梅沢左)。

左の「山亦山(やま また やま)」は三十六景にはない構図です。富士山に連なる山々を描いた奥行のある作品です。

相州梅沢左
桶屋の富士
宝永山出現(其一)

1707年(旧暦宝永4年)の11月23日午前10時に富士山は鳴動し、南東山腹の五合目付近から噴火しました。天地は暗闇となり、火口からは土石を飛ばしたと伝えられています。
この絵を初めて見た時は無重力空間を描いているのかと思い、かなり驚きました。こんな北斎、見たことないです。
勿論、北斎は噴火の現場を見たわけではないので想像図です。

この絵には続きがあり、打って変わって長閑な風景画描かれています。

宝永山出現(其二)

噴火により出来た隆起が宝永山です。
宝永山を珍し気に眺める人たちも描かれています。左から二番目の男の人の右頬の瘤と宝永山が対比されているとの解説もあります。

宝永山噴火は富士山の噴火としては最新かつ最大のものとされています。富士山が活火山であることも忘れてはいけないですね。

孝霊五年 不二峯出現

宝永山出現と違い、こちらは伝説に基づいた想像図です。
この伝説は江戸時代には広まっていましたが、第7代天皇の孝霊天皇についての『日本書紀』『古事記』の記載は少なく、実在していたのかは定かではないようです。

北斎が描いた人々の服装は江戸時代のものですので時代考証的な考えはなかったのでしょう。山頂が枠外に突出している点や人々の視点が山頂に集まっている構図が富士山の雄大さを際立させています。

鏡臺不二

富嶽百景には富士山とともに江戸時代の人々の暮らしが描かれた作品が沢山あります。鏡臺不二もその一つです。 題名は夕日を鏡に、富士山を鏡台に見立てたものです。

漁師たちは仕事を終えて家路につくところでしょう。まとわりつく犬は魚をおねだりしているかのようです。
樽は生け簀として使われているのでしょうか?
細かく見ると沢山の発見がある楽しい絵です。

快晴の不二

一見して、富嶽三十六景の「凱風快晴(赤富士)」を思わせる構図です。

富嶽百景は富士山にまつわる信仰や伝説、あるいは富士山をバックに江戸の人々の暮らしや文化を描いた作品が多いですが、富士山を主役に据えた「本格派」とも言える作品です。

「凱風快晴」の好評を受けての後継作品との評もあります。

葛飾北斎 赤富士
凱風快晴(赤富士)

信仰、伝説、噴火、江戸の人々の暮らしや文化、自然と共にある富士、雄大な富士。様々な富士を北斎らしい感性で描いた富嶽百景の作品を「対訳・北斎の富士」でも是非お楽しみください。

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