本書では『エコール・ド・パリ』の画家、ローランサンとモディリアーニの生涯とふたりの個性的な作品30点を大きくて綺麗な印刷で楽しめます。
(ローランサン)
1883年の秋のことです。落ち葉の舞うパリの町の小さなアパートで、ひとりの女の子が生まれました。
おかあさんはかわいい娘にマリーという名前をつけました。のちに、世界中の人から愛される画家となるマリー・ローランサンの誕生です。おかあさんはマリーを抱いて、美しい声で歌をうたって聴かせながら、毎日服を縫ったりボタンをつけたり刺繍をしたりしていました。
学校の先生になって欲しいという母を説得して通った画塾で知り合った友達の紹介でアトリエ「洗濯船」に集まる芸術家たちに出会います。その中には後に偉大な画家になるピカソもいました。
見る人にバラ色の夢と幸福を与えてくれるマリーの絵は当時のパリで大きな人気を呼びました。
マリーは絵を描くほかにも、詩を書いたり、バレーの衣装を考えたり、舞台の美術を作る仕事もしました。
同じく1883年に生まれて1920年代にパリで大活躍した女性にココ・シャネルがいます。マリーとシャネルの因縁についてのブログ記事を書いていますのでよろしければご覧ください。
(モディリアーニ)
少年時代デドと呼ばれていたアメデオ・モディリアーニは、1884年イタリアの港町リヴォルノに生まれました。4人兄弟の末っ子だったモディリアーニは、みんなにかわいがられて大きくなりましたが、小さいころから体が弱く病気がちの男の子でした。病気のため学校を休むことが多かったモディリアーニの心をなによりなぐさめてくれたのは絵を描くことです。
「デドは大きくなったら芸術家になるかもしれない」
お母さんはモディリアーニが11歳のとき日記にそう書いています。
モディリアーニはフィレンツェの美術学校で学んだ後、パリに出ると、若い芸術家の集まるモンマルトルにアトリエを借りて彫刻作りに励みました。ここでモディリアーニは「洗濯船」と呼ばれるアパートにアトリエを借りていたピカソと出会います。ピカソを通じてユトリロやアンリ・ルソーとも親しくなりました。
やがてモンマルトルに高級マンションが立ち並ぶようになるとモンパルナスの「蜂の巣」と呼ばれるアパートに引っ越します。ここでモディリアーニはさらに多くの画家と出会います。ロシアから来たシャガール、ポーランドから来たキスリング、日本人の藤田嗣治などです。
彼らは後にパリ派の画家(エコール・ド・パリ)と呼ばれるようになります。モンマルトルやモンパルナスはパリという大きな美術学校の教室のようなものだったのでしょう。
ポイントがお得な『楽天ブックス』で買う
返品本を40%オフで買う(3冊以上お買い上げの場合)
返品本を50%オフで買う(特定の商品を含む3冊以上をお買い上げの場合)
読者より
『娘と読んだ本』
M.Sato(@toy3.sato) • Instagram写真と動画
ローランサンの優雅で幻想的な絵が好き。わたしが眺めていたら娘がのぞいてきて、一緒に読んだり、自分の好きな絵を探したり。娘は『シャルリー・デルマス夫人』の肖像画が一番のお気に入りらしい。たしかに美人さん✨
おはなし名画シリーズは、画家に親しみを持てて、本物を見てみたいって気持ちになる。絵は大きくて綺麗だし、画家の伝記を物語調に味わえて、とても好き♡