謎の多いフェルメールの人生と劇的要素に満ちたレンブラントの人生。17世紀のオランダを代表する二人の合計43点の名作を大きくて美しい印刷で楽しみながら、時代背景や人々の暮らしを知ることができます。
(時代背景)
1581年にスペインから独立し、世界最初の市民社会を作りあげたオランダは有数の経済大国として半世紀に渡り繁栄します。ところが、1650年に始まったイギリスとの戦争をきっかけにオランダの経済は傾き始めています。1606年にはレンブラントがレイデンに、1632年にはフェルメールがデルフトに生まれています。この二人に面識があったという記録は残っていませんが、互いの存在を強く意識し合っていたであろうことは想像に難くありません。
(フェルメール)
オランダの衰退により絵が売れなくなる中、フェルメールは穏やかな光に包まれ、不思議な静けさを秘めた数々の作品を描き続け、30歳の頃には画家としても画商としても高く評価されるようになっていました。父親の残した借金もあり、11人の子どもを抱える一家の生活は楽ではなく、生活を立て直そうという努力もむなしく1675年に43歳の若さでこの世を去りました。
※フェルメールの生涯をこちらにごく簡単にまとめています。よろしければご覧ください。
(レンブラント)
若くして絵の才能を認られたレンブラントは1632年、26歳のときに描いた「テュルプ博士の解剖学講義」で大人気画家となります。1642年に描いた大作「夜警」の芸術性や物語性の追求は顕著で、まるでドラマの一場面のようです。この絵は、縦3メートル63センチ、横4メートル37センチという画面の巨大さ、光と影の巧みな使い方も相まって、絵を見る人々の心に強い印象を残し、レンブラントの代表作となりました。レンブラントはたび重なる家族の不幸や経済的破綻を乗り越えて描き続けますが、オランダの衰退と歩調を合わせるように1669年に63歳で亡くなります。
※レンブラントの生涯をこちらにごく簡単にまとめています。よろしければご覧ください。
(ちょっとだけ中身の紹介)
17世紀はじめに世界に先駆けて共和国を実現させたオランダは市民中心の新しい国でした。国民の多くが偶像崇拝を禁じるプロテスタントであったため、教会などに飾られる宗教画は必要とされませんでした。
一方、貿易や産業の繁栄によって裕福になったオランダ市民達は気に入った絵を家に飾るようになり、小さなサイズの風俗画や風景画、静物画などが人気を博しました。
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読者より
『いちばんやさしい美術鑑賞』『失われたアートの謎を解く』(ちくま新書)、『カフェのある美術館』(世界文化社)の著者でもある美術ブロガーTakさんの「青い日記帳」より。
絵本は馬鹿にできません。面白い本がたくさんあります。
例えば「おはなし名画シリーズ」の「フェルメールとレンブラント」。
これなんて子供に読ませるにはもったいない出来です。
この「おはなし名画シリーズ」は他にも沢山出ているので一度は目にしたことあるかと思います。
大きくてとても見やすい本です。※Takさんは他にも、東京都美術館やブリヂストン美術館の公式サイト、goo「いまトピ」、朝日マリオン・コム「ぶらり、ミュージアム」、など多くのメディアにコラムを寄稿。ギャラリーや書店、カルチャーセンターでのトークショーも多く行っています。
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