ドラゴンボールを遡ると辿り着く玄奘三蔵(三蔵法師)の世界
故鳥山明先生のドラゴンボールは「西遊記」をモチーフにして作られました。その西遊記は玄奘三蔵(三蔵法師)の「大唐西域記」が元になっています。
玄奘三蔵は602年に中国に生まれたお坊さんです。「本当の教えを知るには仏陀が生まれ育ち、教えを説いたインドにいくしかない」と考えた玄奘は26才のときに、たった一人でインドに行く決心をします。
玄奘は中国で仏教を学び、その教えが書かれた経典を沢山手に入れて中国に戻りました。17年かかったこの旅の記録を玄奘自身が「大唐西域記」に残しています。熱風が吹き荒ぶ砂漠、天を衝く氷の山、猛獣と毒蛇と盗賊の住む密林、雪山の洞窟に住む人々などが書かれたこのお話は何百年も語り継がれ、やがて孫悟空が活躍する「西遊記」という物語につながります。
インドに着いた玄奘は仏陀が龍を取り押さえたという岩窟に行き、一心に祈りました。
すると真っ暗な壁に丸い光が現れ、それが仏陀の姿になったと言います。
その様子を描いたのが平山郁夫の「出現」です。
シルクロードの画家・平山郁夫画伯と玄奘三蔵の縁
1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾は多くの人の命を奪いました。広島にある修道中学校で寮生活を送っていた平山郁夫が15才のときのことです。中学の教職員13名、生徒188名の計201名が即死しています。この時の地獄のような体験を平山郁夫は34年後、「広島生変図」に描いています。広島の町全体が巨大な炎に包まれて、真っ赤に燃え上がっている様子がよく分かります。
25才の時に画家としての道をスタートした平山郁夫でしたが、生活は決して楽ではありませんでした。
しかも、この頃から原爆の後遺症にも苦しめられるようになります。それに加え、自分だけが助かってしまったという思いに何度もうなされたと言います。
そんなある日、1964年の東京オリンピックにギリシャで灯された聖火をシルクロードを通って東京まで運んだらどうか、という新聞記事が目にとまります。聖火を携え走るランナーの姿に、経典を携えてシルクロードを旅する一人の僧、玄奘三蔵の姿が重なったのです。こうして生まれた「仏教伝来」(表紙の絵)には辛い旅も終わろうという頃の玄奘の姿が描かれています。
この絵は大変な評判を呼び、平山郁夫は画家としての自信を得ることが出来ました。病気もお釈迦様に守れらているかのように徐々に症状が軽くなっていきました。この後、平山郁夫は玄奘の辿った道を自分の足で歩き、数々の名作を生み出していきます。
本書は「平山郁夫のお釈迦さまの生涯」の続編として作られた2冊目の平山郁夫の画集です。「平山郁夫の生い立ち」と「仏教の伝来と玄奘三蔵」の二部作になっています。中学時代に被爆を体験し、絶望の底から救いを求め、玄奘への思いをこめて描いた「仏教伝来」「天山南路」その他奈良・薬師寺の壁画も含め38点の絵画で、平山郁夫の歩んだ道と玄奘三蔵の求道の旅を辿っています。
(普及版)
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内容は同じです。本格的な画集をご希望の場合は本書をお薦めします。
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